雹(ひょう)の話
何となく天候異変が気になります。何億年かの周期で起こる地球の宿命か?そんなことはない、お前様たち人類が原因なのさ、と云われているようで気詰まりです。案外、当たっているのかも知れません。
それはともかく、まあ、聞いて下さい。東大和市に、村山貯水池が出来たことによって、雹(ひょう)が降らなくなったとの言い伝えがあります。と同時に、雹害を避けるための厚い信仰があったことを一つの碑が残しています。
『東大和のよもやまばなし』は次のように語ります。
「この辺は雹の多かった所のようです。雹が降れば作物が被害を受けます。農家にとっては大変なことですから降らないように代表が榛名(はるな)神社までお参りに行きました。
雹は榛名や戸隠(とがくし)の方から来るといわれ、空が急に暗くなると降ります。地域的に集中して降ったようです。
明治の終り頃、二十センチメートル位つもる程降ったことがありました。畑で大きな雹に降られ、頭をかくすためにこやし桶(おけ)をかぶった事もあったそうです。麦はとび散って全滅です。土も冷えてさつま芋の苗を植えても葉が赤くならず、芋も太りませんでした。草屋根のくさった所に雹が当り、穴があいて雨もりするようになってもふく草もとれず、屋根にむしろなどをかけてしのいだ事もありました。
その中で、続けられたのが芋窪地域でした。平成19年、戸隠神社から神主さんが招かれ、豊鹿島神社の社務所に祭壇をもうけて日待講が執り行われました。祈願の後、それぞれがお札を頂いて各家におまつりしました。これが最後になるかも知れません。
(2017.06.30. 文責・安島喜一)25