火伏せの神様
「この神様は誰?」
「おいなりさんかな・・・?」
「狐がまつられてるから、こっちがおいなりさんだよ」
高木神社の正面向かって左側にある境内社を巡って、謎解きが盛り上がります。
一番奥に並んでいる二つの社が話題です。
左側が稲荷神社で右側が秋葉神社です。この秋葉神社を巡って『東大和のよもやま話』は次のように語ります。
高木神社に向って左側に、火伏せ(ひぶせ 防火)の神様「ヒノカグツチノオオカミ」を祭神とする秋葉神社があります。
昔、高木のある家では、裏山に社を造り、神主に頼んで「御霊遷」(みたまうつし)を行いましたところ、祈りが最高潮に達したとき、高木神社の秋葉様より火柱があがり、裏山へと御霊が移るのが見えたそうです。
いつであるかはっきりしませんが、風の強い日奈良橋一帯が大火事になり、高木の方にまで燃え広がってきました。ところが、不思議に秋葉様を祀ってある家と両隣り三軒は、火災からまぬがれたということでした。
「きっと、秋葉様が火を防いでくれたのだ。」
と、この家の人達は、一層秋葉様への信仰を深くしました。
この話は、この家が実家である、明治四十年(1907)生まれの木下志満さんが、おじいさんから伝え聞いたということでした。志満さんが子供の頃には、秋葉様は大切に祀られ、つつじの花にかこまれていました。現在では、この秋葉様の社は取りはらわれてしまい、なにも残っておりません。(『東大和のよもやまばなし』p41)
東大和市内の屋敷神は、「みちの会」の調査で38種、341社あります。その中で、秋葉神社は芋窪に1軒だけまつられています。今回話題の高木神社境内の秋葉様については、『新編武蔵風土記稿』『 狭山之栞』 に記載はありません。明治3年(1870)の神社書き出しに高木神社の末社として搭載されています。
東大和市史資料編9p104では「個人持ちを納めたものといい」と記します。案外、狭山丘陵の小高い峯、ツツジに囲まれてまつられていた秋葉様が、明治になって高木神社境内に遷されたのかもしれません。もちろん、神社外の別の地にあった社が遷されたことも考えられます。
故地と現在地で今でも東大和市の無事を見守っておられるのでしょうか。
(2017.08.18.記 文責・安島喜一)19