明楽寺墓地の石造物

 高木神社境内の東側、路一つを隔てて明楽寺墓地があります。
 明治の廃仏毀釈で廃寺になりました。円乗院の隠居寺とされます。その墓地が残されました。
 現状は草に覆われています。2006年撮影の画像です。 

墓地の全景
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石段を上がった時の全景 クリックで大

明楽寺墓地歴代住職墓地側からの全景
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東西に分かれて立つ六地蔵尊に囲まれた区域 奥に比翼塚
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六地蔵尊・安政6年(1859)
左・聖像(大日如来像)・造立年号不明
中央・六十六部供養塔・宝暦4年(1754)、江戸の商人が建立
右・法如上人像・文化9年(1812)

歴代明楽寺住職墓地の区域
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元禄17年(1704) 天保2年(1831)などの年号が読める墓碑もありますが、多くが不明です。
明楽寺は田無(現西東京市)の三宝寺の末でしたので、その関係の方々でしょうか。

比翼塚 
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 江戸時代末・明治の初め江戸南町奉行遠山家ゆかりの武士であった宮島夫妻が
高木村に移られました。
 寺子屋の師匠、高木神社の神官などを歴任して亡くなりました。
 村人たちがその二方を偲んで建てました。よもやま話に詳細が語られます。

 
各石造物の詳細は別に記します。
 
 (2017.08.23.記 文責・安島喜一)
 
 
 
 
 

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