第十五番清水観音堂

第十五番清水観音堂

 東大和市域最初の狭山三十三観音の札所です。十四番瑞光山法珠寺(東村山市)から西に向かって500メートル程です。

十五番清水観音堂 右の路が十四番から、左奥への路が十六番へのかっての順礼道
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所在地 清水一丁目755番地
本 尊 聖観音
詠 歌
  月影も 清くうつれる 水の面 深き誓いを 汲みて知るらん
御朱印は無住のため、第十六番三光院で頂けます。

第十五番 清水観音堂 御朱印

 西武多摩湖線武蔵大和駅を下車の場合、右に回ります。十四番瑞光山法珠寺からの場合はそのまま直進します。暫く進むと、右側に素朴な赤い屋根の堂が見えてきます。第十五番札所・清水観音堂です。前川を背に、本村橋のたもとにあるところから、地元では「橋場の観音様」と呼びます。

方三間の寄せ棟宝形造り、かっては素朴な草葺き屋根の堂でした。
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 方三間の寄せ棟宝形造り、かっては素朴な草葺き屋根の堂でした。昭和47年(1972)に改修をしていますが、いかにも里山の観音堂らしい姿が保たれています。草創開基は不詳です。
この観音堂は、墓地もなく地元の有志によって管理されています。
 堂の正面は画像の右側になります。右下が門扉となっており、施錠されていませんので裏側の取っ手を外してお参りできます。

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 格子戸の窓から奥を拝すると、中央に二基の厨子が置かれています。中央の厨子に本尊の聖観音立像、左側の厨子には阿弥陀如来立像、薬師如来立像、十一面観音立像が安置されています。

 聖観音像は蓮華座に立つ通形の姿で、輪光背をつけます。像高は三六・○㌢です。東大和市史資料編8では、「顔など上半身の露出した肉身部は漆箔(しっぱく)につくり、下半身の裳や天衣、条帛などには黒茶色の彩色をほどこす、これら金箔や彩色は最近の修理によるもので、その点保存状態は良好である」としています。いずれも江戸時代後期の作とされます。

巡礼道

東大和市内狭山三十三観音位置図
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16番三光院観音堂への道筋
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 十四番法珠寺からの道筋は一筋ですが、十六番三光院観音堂が村山貯水池築造(大正5年に着工、昭和2年に完成)のため遙か南に移転したため変化しています。移転前は十六番へは北方向に本村橋を渡り直進して宅部池(たっちゃん池)の付近から、旧地へと進むか、或いは現在の周囲道路に近い道を熊野神社、成就院(駐在所の南側付近にあった)を経て、下堰堤手前の広場に入り湖底に沈んだ旧地へと下ったようです。

 現在はルート選択が必要となりました。十四番法珠寺から、或いは武蔵大和駅から巡拝する場合、十五番をお参りしてから引き返すか、武蔵大和駅前を過ぎて間もなく、左側の大きな道路を南に向かい十六番を巡拝してから後に、十五番に向かうかの選択です。なお、十五番清水観音堂の御朱印は三光院で頂けます。

歴史を辿る

観音堂改修記念碑
昭和四十七年九月吉日
清水観音堂保存会
賛助芳名者五百六十名
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 清水観音堂についての地誌類の記録は次の通りです。草創開基不詳で、村人の個人持ちであることが伝えられます。

『新編武蔵風土記稿』
観音堂 見捨地一畝、村の中央道の傍にあり、二間四方南向き、正観音木の立像二尺一寸許なるを安す、村民持、

『狭山之栞』
観音堂は橋場にあり。草創開基不詳。本尊正観世音菩薩は行基の作にして長一尺五寸の立像。狭山十五番の霊場、杉崎氏の持也。

昭和47年(1972)観音堂は改修されました。この際観音堂保存会が結成され、560名の方々が賛助されています。

正面にかかる講中の巡拝記念額 
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講中の巡拝記念額

 多くの張り札がありますが講中の巡拝記念額は目視では読めなくなりました。

石造物

 清水観音堂には多くの石造物があります。堂前、堂東側に分けてご案内します。

観音堂前側

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観音堂東側

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 (2018.04.30.記 文責・安島喜一)

 清水観音堂の石造物

 東大和市内の寺院と札所

 第十六番札所 三光院(清水)

 第十七番札所 霊性庵(狭山)

 第十八番札所 雲性寺観音堂(奈良橋)

 第十九番札所 はやし堂(林堂 芋窪)

 東大和市指定文化財旧跡