阿字庚申塔 東大和市郷土資料
阿字庚申塔 東大和市郷土資料
東大和市内でも、周辺市でも極めて特色ある庚申塔が雲性寺にまつられています。
「ァ字庚申塔」です。
東大和市では市文化財「郷土資料」に指定しています。
所在地 東大和市奈良橋1-363 雲性寺
指 定 昭和55年(1980)4月1日
説 明 この庚申塔は、梵字「ア」字が陰刻されており「阿字庚申」と呼ばれている稀な形態の庚申塔である。
説明板
雲性寺山門石段前、左側に石仏群があります。
石仏群と石段の間に市教育委員会の説明板が建てられています。
東大和市郷土資料
庚申塔 (阿字庚申)
所在地 東大和市奈良橋一丁目三六三番地
指 定 昭和五十五年(1980)四月一日
この庚申塔は、上部に八葉の蓮華を座とした月輪を
浮彫し、その月輪の中に梵字「ア」字を陰刻したもの
で、「阿字庚申」と名付けられている。庚申講中が造立
した庚申塔とはその趣を異にする市内唯一の稀な塔
である。
下部の三猿も、中央前向、左右横向に浮彫されて
いる。
現在、庚申塔は本堂に安置されているがその台座
は現在もその位置にある。
昭和五十六年三月
東大和市教育委員会
正面
上部
下部の三猿
・「云わざる」「聞かざる」「見ざる」も
・他の多くの庚申塔に共通の三猿とも正面を向くのとは
・違って、中央が正面、左右が横向きと
・独特の姿をしています。
高木神社前にまつられている庚申塔の三猿
享保四己亥年二月吉日(1719)
裏面
裏面には下記図のように
正徳六丙申三月
法印傳栄
と彫られています。
裏面に彫られた「正徳六年(1716)」と「法印傳栄」は
雲性寺にとって、特に大きな意味があります。寺伝から引用します。
「元禄年間(1688~1703)権大僧都法印傳栄なる者
殊に地形を開墾し諸事を拡張し
地頭石川太郎左衛門なる者と計って
遠近より数多淨木浄財を仰ぎ新伽藍を増設し
永遠聖朝安寧四海護国群民利潤の担場(にないば)とす
この時三号を改称して
山名を天王山と唱え院名を観音院と号し寺号を雲性寺と改称す」
雲性寺を中興したのが法印傅栄でした。
その法印がこの阿字庚申塔をまつりました。余程の思いを込めての造立と思います。
本堂内にまつられる前は山門を入ったところにまつられていました。
三猿がこれだけはっきり見える庚申塔は東大和市内では稀です。
(2022.04.10.記 文責・安島)