2024年3月12日 / 最終更新日時 : 2024年3月12日 musashinoaj 7近世 芋久保村地頭・酒井氏 芋久保村地頭・酒井氏 家康から知行地を与えられた酒井氏は、天正19年(1591)~文禄元年(1592)に 芋久保村(以後芋窪村)、高木村に配属されて来ました。 家康が秀吉から関東への移動を告げられてから、まだ、数ヶ月 […] 共有:Tweet
2024年3月8日 / 最終更新日時 : 2024年3月12日 musashinoaj 7近世 忍耐も限界の村人達 地頭に反乱 地頭も気の毒? 忍耐も限界の村人達 地頭に反乱 地頭も気の毒? 天保3年(1832)、芋窪村での出来事です。 村人が領主様の申し付けに、鉦(かね)・大鼓を打ち鳴して 「ダメ、いやだ」を表明しました。 ・村の指導的立場にある「年 […] 共有:Tweet
2024年3月1日 / 最終更新日時 : 2024年3月1日 musashinoaj 7近世 蔵敷村の大井戸について 蔵敷村の大井戸について 文政四年(1821)のことです。 東大和地域一帯は猛烈な飲み水不足に見舞われ、その獲得に悩みました。 蔵敷村では、ついに、狭山丘陵の峰を越えて、 ・ねずみ沢(現在は村山貯水池内) ・新田開発し […] 共有:Tweet
2023年10月16日 / 最終更新日時 : 2023年10月17日 musashinoaj 7近世 大筒車台用材之義御廻状(全文写) 大筒車台用材之義御廻状(全文写) 嘉永6年(1853)7月5日に届けられた廻状(読み下し全文写) 『里正日誌』6巻p446 嘉永6年(1853)7月5日、勝田次郎役所より、 大筒の台車用の用材として欅(槻もおなじ けやき […] 共有:Tweet
2023年10月12日 / 最終更新日時 : 2023年10月12日 musashinoaj 7近世 百姓は粗末な衣服をまとい、髪は藁で結え・・・ 百姓は粗末な衣服をまとい、髪は藁で結え・・・ 50年余も続けられています この通達! 天保13年(1842)10月13日、「百姓風俗についての御触」が来ました。 天明8年(1788)2月14日にも「髪も藁に […] 共有:Tweet
2023年7月28日 / 最終更新日時 : 2023年7月28日 musashinoaj 7近世 幕末(安政3年・1856 東大和市)の村の様子 幕末(安政3年・1856)の村の様子 幕末の村の様子です。 統一的に記録する資料が少ない中で、安政3年(1856)の状況を『里正日誌』が伝えます。記述が簡略化されていますが、江戸末期の村の様子が読み取れます。先ず […] 共有:Tweet
2023年7月22日 / 最終更新日時 : 2023年7月22日 musashinoaj 7近世 明和九年(1772)の道しるべ(東大和市) 明和九年(1772)の道しるべ(東大和市) 雲性寺の前庭にまつられる石塔の中に、坂東・秩父・西国百ヶ所巡礼供養塔(高さ75㌢)があります。 この塔の両側面が道しるべになっています。 一番右側の奥が今回紹介する道しるべ […] 共有:Tweet
2023年7月14日 / 最終更新日時 : 2023年7月24日 musashinoaj 7近世 笠松坂の道しるべ(東大和市) 笠松坂の道しるべ(東大和市) 笠松坂、東大和市の西北端です。 地元では笠松峠と呼ぶ人もあります。 この一段と高くなったところに、村山貯水池と狭山丘陵の南麓を見渡すように「道しるべ」があります。 左端の石仏です。 東大 […] 共有:Tweet
2023年7月11日 / 最終更新日時 : 2023年7月24日 musashinoaj 7近世 奈良橋庚申塚の道しるべ(東大和市) 奈良橋庚申塚の道しるべ(東大和市) 東大和市の中央部、かっての江戸街道と青梅街道が交差する場です。 「庚申塚」があり、道行く人々の憩いの場であり、道しるべを刻む庚申塔がまつられていました。 道しるべは台座の中央部に刻 […] 共有:Tweet
2023年7月9日 / 最終更新日時 : 2023年7月14日 musashinoaj 東大和の歴史 青梅橋の道しるべ(東大和市駅南 小平市) 青梅橋の道しるべ(東大和市駅南 小平市) 東大和市駅の南口、青梅街道の駅側の小平市の歩道に貴重な道しるべがあります。 江戸時代、安永5年(1776)2月建立の庚申塔(98㌢)の両側面に刻まれています。 東大和市駅の南 […] 共有:Tweet