藤兵衛さんと狼(よもやま話)
東大和市にも、村人と動物が一緒に過ごす時代がありました。
大正初めから昭和2年(1927)にかけて村山貯水池が建設されますが、そのずっと前です。
湖底に沈んだ地域には古村があり、南麓の地域とは峠を越して結ばれていました。
東大和市もぐっと西、武蔵村山市との境に近いところ、芋窪の西谷ッに「笠松坂」がありました。
「昔、狭山丘陵の山やまに囲まれた石川の谷では、村人が農業や山仕事に精をだして暮しておりました。部落の西からつきでた丘の上に住吉様が祀られていて、その辺は大きな森になっていましたので、北側の谷は日かげ地になり、村の人はそのあたりのことを「日かげ」と呼んでおりました。
藤兵衛さんは、うでのよい木こりの親方です。「日かげ」に住んでいましたので、村の人たちからは「日かげの藤兵衛さん」と呼ばれていました。雨が降らなければ、毎朝、笠松坂を通って仕事場に行きます。大きな木の茂った中の坂道は、昼でもうす暗くて淋しいところでした。
ある朝、いつものように笠松坂をのぼって行くと、先方に獣の姿が見えたので、一瞬足をとめ、よくよく見ると狼です。大きな口をあいて苦しげに、首を何度も振っています。こちらを見て逃げるでもなく、何か頼みたいようす。
不思議に思った藤兵衛さんが、こわごわ近よってみると、のどに捨場の肉を食べて骨が刺さって苦しんでいるようです。藤兵衛さんはこわかったけれど、痛かろうと思い、
「取ってやるから、よく見せてくれ。おれに食いつくではないぞ。」
というと、狼はこっくりしました。思いきって狼の口に手を入れて、つかえていた骨を取ってやると、うれしそうに首を一つさげて木の間に入って行ったそうです。
その日の夕方、藤兵衛さんが笠松坂まで戻ってきますと、今朝の狼がでてきて、後について家まで送ってくれました。翌朝仕度をして家を出ると、狼が待っていてついてきます。こうして何日か狼が朝晩送り迎えをしてくれました。狼はおとなしくついてくるのですが、藤兵衛さんは気味が悪くてしようがありません。
「狼や、そんな姿でついてくると困る。もう明日からはこないでくれよな。」
とさとすように話してやると、翌日からは姿を見せなくなりました。
藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで、大口真神(おおぐちまがみ)といわれていることを思い、小さなお宮を造り、自分を守ってくれた狼を家の常口(じょうぐち)へお祭りし、朝晩おがんでおりました。
大正の初期に、石川の谷が東京市の水道用水池となることにきまり、藤兵衛さんの子孫は芋窪の原へ引越すことになりました。狼を祀ったお宮も、一しょに原組の住吉様の境内に移されました。そして天王様のお社(やしろ)の隣に祀られて、今も人びとのお参りをうけています。」(東大和のよもやまばなし163~163)73
(2016.12.23.記)
モニュメント・藤兵衛さんと狼