5近世・江戸時代3(東大和市の歴史・略年譜)

5近世(江戸時代3)

・1853(嘉永6年)6月3日、ペリー来航。
 ・6月19日、江川太郎左衛門(東大和地域を治めた代官)勘定吟味役格に任命される。
  海防会議に参画。江戸湾への台場建設決まる。
 ・7月5日、大筒車台用材運搬御廻状が届く
 ・7月9日、台場築造のためケヤキ、松材を運び出す。
 ・9月12日、御林から松材切り出し。東大和市域の村人が人足に徴用される。

東大和市と台場、観音崎台場の位置 クリックで大

・1854(嘉永7年)
 ・1月9日、ペリー再来航
 ・1月16日、江川代官から、村々の入り口を厳重に取り締まれ、との命令が出される。
 ・1月19日、関東取締出役から、長脇差、博徒取り締まり、火の用心などの命令が出される。
 ・1月23日、村人、竹槍持って駆けつけると約束。
・1855(安政2年)、安政の大地震。東大和市域では被害が出ていない。
・1861(万延2年)4月、江戸に疱瘡大流行。種痘券が配布される。
 ・9月~10月、皇女和宮降嫁に伴い、村人達が浦和、大宮宿に助郷。

和宮が宿泊した部屋 桶川市 クリックで大

・1862(文久2年)1月、雲性寺火災。
 ・8月、生麦事件。
 ・8月、コロリ(ましん)病流行。女講百万遍。各神社で護摩。

コロリ流行につき、後ヶ谷村を軒別に百万遍念仏を唱える諸費用 クリックで大

・1863(文久3年)、異国人との合戦はじまるとの噂で江戸混雑。
  広い部屋を持つ家の調査(疎開のため)。
 ・1月、鷹場内のため、イノシシや鹿が多く、作毛を荒らし困っている。
  追い散らしを要望。(『杉本家文書』中p159
 ・9月、芋窪で獅子舞。
◎・11月、農兵取り立て(江川太郎左衛門支配下)、蔵敷村に訓練所設置。

農兵訓練所見取り図 蔵敷村 クリックで大

・1866(慶応2年)3月、悪党が来るとして、農民竹槍を持ち200人余集まり、
 ・農兵が巡回(『指田日記』)。
 ・6月、江川役所から、大阪へ農兵出兵との通知、村々で相談、反対。
 ・12月5日、徳川慶喜第十五代将軍となる。凶作、米価上がる。

・1867(慶応3年)
 ・3月、江川太郎左衛門江戸湾防備役を命ぜられた。
 ・6月、東大和市域からは観音崎台場へ3名を派遣。

観音崎台場へ農兵を派遣することを報告した杉本家文書 クリックで大

 ・7月、大政奉還運動高まる。8月、鷹場廃止。
 ・9月23日、明治天皇即位。
 ・10月15日、大政奉還、12月9日、王政復古
 ・12月18日、農兵が芝新銭座の江川役所の警備を命ぜられる。
 ・村々反対。このため、蔵敷組合総代野口村、後ヶ谷村名主宿預けとなる。

・1868(慶応4年)
・1月3日、鳥羽伏見の戦い、旧幕府側敗北。
・2月4日、慶喜が家臣に隨身の自由を表名。
・2月7日、早くも、旧幕府側の高島藩か高遠藩の歩兵14名が芋窪村に宿泊。
・3月14日、勝海舟、西郷隆盛会談、江戸城総攻撃中止。
・3月24日、中藤村周辺で博徒・貧民が昼食の強要。
・4月21日、東征軍江戸城へ入城。
・閏4月16日、青梅橋で追い剥ぎ。農兵が駆けつけ、
 周辺の村人5~600人が集まり、捕らえる。

追い剥ぎ騒動の舞台となった青梅橋 クリックで大

・閏4月27日、政体書公布。地方支配機構を定める。全国を府・藩・県に分ける。
 東大和市域では6月に韮山県、品川県に属した。
・5月1日~15日、振武軍が田無から箱根ヶ崎に集屯、軍用金を要求された。
・5月19日、江戸鎮台府を設置。
・5月21日、所沢村から官軍通行につき人馬を差し出すようにとの通知あり。
 人足40人、馬10匹を向ける。
・6月29日、江川英武が韮山県知事に任命される。
 東大和市域の江川支配下にあった地域は韮山県に、
 その他の旗本領は一旦政府に没収され、品川県に属した。

県の混在、芋窪、高木、清水村は一村で韮山県と品川県の2県に属した。クリックで大

・7月17日、江戸を東京と改称。
・9月8日、明治と改元。略年譜・明治時代へ続く

 (2021.05.20.文責・安島)

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