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6近世

飢饉で子どもが産めなかった

 文政年間(1818~1829)の村(蔵敷村)の姿    子どもが生まれなくて、村は維持できたのか?  ずっと疑問に思っていたのが左の表です。  江戸時代の村の人口の増減と自然条件の関係はどのような実態だったのか?  そ …

江戸時代の村の人口(蔵敷村)

 江戸時代、村の人口はどのように推移したのでしょうか?  東大和市を構成していた村の一つに「蔵敷村」(ぞうしきむら)があります。    狭山丘陵に刻まれた谷ッに本拠を構え、その南に広がる武蔵野の原を新田開発した村です。 …

天保の飢え人

 天保年代(1830~43)は、寛政・天保小氷期と云われるほど、寒冷化が特に厳しい時代でした。  冷害に見舞われ、作物の不作が続き、農村は飢饉に襲われました。  東大和市域の村々は猛烈な飢饉により、下記の表のような飢人が …

稗と粟が主食だった

 江戸時代も末、東大和市の農業の実態です。  蔵敷村に残された里正日誌によって少し分かってきました。  天明年間(1751~88)の天災~不作~飢饉は有名ですが、文化、文政期にもそれは続き、農村は疲弊しました。  文政4 …

庚申塚 東大和市指定文化財 市史跡

所在地     蔵敷2-508-3 昭和49年9月20日指定 指定理由  近世のこの地方の民俗信仰及び地名を知る資料として価値のあるものである。 蔵敷二丁目の青梅街道から芝中団地のほぼ中央を通り、中砂の川橋を越えて新青梅 …

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