2019年7月15日 / 最終更新日時 : 2024年3月23日 musashinoaj 8現代 内堀の里(東大和市) 内堀の里 村山貯水池に沈んだ集落に「内堀」と呼ばれる地域がありました。狭山丘陵の峰と峰との間にできた村です。 春先は水のない田んぼにれんげの花が咲きみだれ、じゅうたんを敷きつめたよう。子供達はその上で遊び、寝っころが […] 共有:Tweet
2019年7月12日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 馬頭観音をまつった背景(東大和市) 馬頭観音をまつった背景(東大和市) 東大和市内には、寛政3年(1791)を最初として、昭和2年((1927)まで、23基(19基確認)の馬頭観音様がまつられています。どのような経過で村の人々はおまつりしたのでしょうか。 […] 共有:Tweet
2019年7月9日 / 最終更新日時 : 2021年11月2日 musashinoaj 東大和の歴史 東大和市の馬頭観音 東大和市の馬頭観音 神社やお寺の一隅に、「馬頭観音」と彫られた石塔や腕を何本も持った怖い顔をした像が浮彫になった石塔がまつられています。かっては主要道路の大事なところに、馬の供養、道中の安全祈願のためにまつられていまし […] 共有:Tweet
2019年7月5日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 小学校の制限外授業料の徴収 小学校の制限外授業料の徴収 昭和5年(1930)世界恐慌は日本にも押し寄せました。それは都市・農村を問わず、深刻な影響をもたらせました。都市には失業者があふれ、農村には農産物価格暴落による疲弊が、人身売買を生むまでにな […] 共有:Tweet
2019年7月4日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 生活改善十項 生活改善十項 昭和の初め、東大和市域の社会状況はどのようであったのか? それを知る一つの資料があります。昭和5年(1930)のことです。狭山丘陵周辺も昭和恐慌のあおりを受けて、村の経済、村人達の生活条件に、厳しさが加 […] 共有:Tweet
2019年7月1日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 大正十五年六月銘橋柱 大正十五年六月銘橋柱 大正十五年の年号を刻む橋の柱があります。この年号、ありそうで、なかなか見当たりません。 大正15年(1926)12月25日、大正天皇の崩御により、皇太子裕仁親王が皇位を継承して、即日「昭和」と改 […] 共有:Tweet
2019年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年4月13日 musashinoaj 7近世 藁餅(わらもち)で飢饉を切り抜けよ!! 藁餅(わらもち)で飢饉を切り抜けよ!! 天明三年、幕府のお達し 天明3年(1783)10月3日、幕府代官所の飯塚 伊兵衛から、東大和市域の村々にお触れが届きました。 「御勘定所」より「飢饉で食糧が不足し、米価が高 […] 共有:Tweet
2019年6月27日 / 最終更新日時 : 2023年10月12日 musashinoaj 7近世 飢饉の貯えに田螺(たにし)を拾え 飢饉の貯えに田螺(たにし)を拾え 天明8年(1788)7月10日 幕府役人飯塚常之丞から、東大和市域の村々に次のような通達が出されました。 飢饉のための貯(たくわえ)に田螺(たにし)を拾い集めよ ・水田や小溝(こみぞ) […] 共有:Tweet
2019年6月26日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 大和基地跡地の利用・三分割有償 基地跡地の利用・三分割有償 暫定開放により、基地跡地の市民への一般開放が進みましたが、突如、国は跡地の処理方針を発表しました。 大蔵省案 ・昭和51年(1976)1月14日、大蔵省から東京都に対して、大和基地に対す […] 共有:Tweet
2019年6月20日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 大和基地跡地の部分開放・一時使用 大和基地跡地の部分開放・一時使用 現在は、その形跡を残していませんが、米軍大和基地返還運動の中で、画期とも云える基地の部分開放・一時使用が実現しました。 現在の桜が丘三丁目、警視庁総合教養訓練施設、東京都水道局東大和 […] 共有:Tweet