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5中世

東大和市に古代からの人が定着する様子

東大和市に古代からの人が定着する様子  東大和市に古代から中世にかけて人々が定着する様子を追っています。多くの場合、狭山丘陵につくられた谷ッに見られそうです。その中から一例として「廻田谷ッ」(めぐりたやつ)を紹介します。 …

豊鹿島神社本殿の棟札3(東大和市)

豊鹿島神社本殿の棟札3  豊鹿島神社現本殿の棟札の続きです。創建棟札(文正元年・1466)、天文19年(1550)の棟札に続いて3枚目になります。 (3)天正4年(1576)棟札について   豊鹿島神社現本殿棟札に、天正 …

豊鹿島神社本殿の棟札2(東大和市)

豊鹿島神社本殿の棟札2  豊鹿島神社現本殿の棟札の続きです。創建棟札(文正元年・1466)に続いて、天文19年(1550)の棟札が発見されています。 (2)天文19年(1550)棟札について 表面    武州多東郡上奈良 …

奈良橋郷(東大和市)

奈良橋郷(ならはしごう)  狭山丘陵周辺の中世の郷に「奈良橋郷」がありました。狭山丘陵の中世の郷は一般的には ・丘陵北部 山口、久米川、荒畑、宮寺 ・丘陵南部 村山、宅部  とされます。これに加えて奈良橋郷があったことが …

中世の村・廻田谷ッ(東大和市)

中世の村・廻田谷ッ  東大和市内で中世の村落の姿をそのまま見るのは困難です。幸い湖畔三丁目に、二つ池公園があり、周辺から平安時代後半から中世にかけての遺跡が発見されています。  湧き水、平安時代遺跡、谷ッの水田、板碑、寺 …

三光院保存の板碑(東大和市)

三光院保存の板碑   三光院の観音堂と本堂の間、奥の一隅に板碑が集中してまつられています。  全部で19枚、いずれも村山下貯水池に沈んだ上宅部の地から三光院の移転と共に、この地にうつされました。  前側中央の南無阿弥陀仏 …

谷ッに散在する集落(東大和市の中世2)

谷ッに散在する集落(東大和市の中世2)  中世、東大和市域の人々はどこに住んでいたのでしょうか?  どのような生活をしていたのでしょうか?  ・狭山丘陵のほぼ中央の峰に、古代からの多摩郡と入間郡の境界が定められて  ・狭 …

村山党の武士の館

村山党の武士の館  狭山丘陵周辺に本拠を置いた村山党の武士はそれぞれに館を構えたとされます。  その全容は明らかではありませんが、次のように訪ねることができます。 ・山口氏の館(山口城 所沢市)山口城の土塁や構えが残され …

鎌倉時代、東大和地域の武士団は?(東大和市の中世1)

鎌倉時代、東大和地域の武士団は?(東大和市の中世1)  狭山丘陵周辺の中世の初期は武蔵七党の時代に当たります。東大和市域には、どのような武士団が定着していたのでしょうか? 残念ですがはっきりしません。 武蔵七党  治承4 …

石神の話(東大和のよもやま話)

村山下貯水池の建設とともに、湖底に沈んだ上宅部に伝わる話です。下の堤防から二つの取水塔が見えます。その奥の方に近いところでした。 そこは、石塔前という特別の名前で呼ばれていました。村人達にとって、大事な大事な「石神」様が …

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