2019年3月4日 / 最終更新日時 : 2022年7月12日 musashinoaj 6中世 谷ッに散在する集落(東大和市の中世2) 谷ッに散在する集落(東大和市の中世2) 中世、東大和市域の人々はどこに住んでいたのでしょうか? どのような生活をしていたのでしょうか? ・狭山丘陵のほぼ中央の峰に、古代からの多摩郡と入間郡の境界が定められて ・狭 […] 共有:Tweet
2019年3月3日 / 最終更新日時 : 2023年12月20日 musashinoaj 6中世 村山党の武士の館 村山党の武士の館 狭山丘陵周辺に本拠を置いた武士団は村山党でした。 村山党の武士はそれぞれに館を構えたとされます。 その全容は明らかではありませんが、 山口氏、久米氏、村山氏、宮寺氏、金子氏で 次のように訪ね […] 共有:Tweet
2019年3月1日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 鎌倉時代、東大和地域の武士団は?(東大和市の中世1) 鎌倉時代、東大和地域の武士団は?(東大和市の中世1) 狭山丘陵周辺の中世の初期は武蔵七党の時代に当たります。東大和市域には、どのような武士団が定着していたのでしょうか? 残念ですがはっきりしません。 武蔵七党 治承4 […] 共有:Tweet
2018年2月22日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 石神の話(東大和のよもやま話) 村山下貯水池の建設とともに、湖底に沈んだ上宅部に伝わる話です。下の堤防から二つの取水塔が見えます。その奥の方に近いところでした。 そこは、石塔前という特別の名前で呼ばれていました。村人達にとって、大事な大事な「石神」様が […] 共有:Tweet
2018年2月9日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 略年譜 4中世 略年譜 4中世 1083(永禄3)~1087年(完治元年)後三年の役 宅部「御霊神社」について、鎌倉権五郎景正の家臣寺島小重郎がこの地に棲みつき、主君の霊を祀ったのが創始と伝えられ、小十郎は内堀を名のり神社に奉仕したとい […] 共有:Tweet
2018年1月20日 / 最終更新日時 : 2022年6月15日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 4 中世2 南北朝~室町時代 1 新田義貞鎌倉攻めの時 新田義貞挙兵 元弘3年(1333)、 後醍醐天皇の倒幕の綸旨をもとに新田義貞が挙兵、兵を南下させました。義貞軍と鎌倉幕府軍は、小手指原(所沢市)、久米川(東村山市)、分倍河原(府中市)で相まみえ […] 共有:Tweet
2017年10月10日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 板碑の集中埋納 板碑は単独、お地蔵様と一緒、覆屋の中・・・など、様々にまつられます。今回は東大和市内で江戸時代に集中して埋納されていた例を紹介します。狭山の杉本林志氏が著した『狭山之栞』に次のように紹介されています。 「古碑図 […] 共有:Tweet
2017年10月9日 / 最終更新日時 : 2023年7月9日 musashinoaj 6中世 永仁二年(1294)板碑 狭山丘陵周辺の板碑 狭山丘陵周辺の板碑の造立は次の通り、13世紀後半に始まります。 市名 最古 最新 入間市 建長2年(1250) 所沢市 建長8年(1256) […] 共有:Tweet
2017年10月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 musashinoaj 6中世 板碑(東大和市) 中世を語り解明する有力な資料に「板碑」があります。秩父産の青い岩石(緑泥変岩)を材料にして、石板状にしたものです。「青石塔婆」とも呼ばれます。産地が近かったことと鎌倉街道が通じていたことから、武蔵には多数(約4万基)が […] 共有:Tweet
2017年10月5日 / 最終更新日時 : 2022年1月15日 musashinoaj 6中世 宅部美作入道貞阿(やけべみまさくにゅうどうじょうあ)(1368年) 中世、東大和市にはどのような人々が活躍したのでしょうか? その一人に宅部美作入道貞阿がいます。普済寺版経典(1368年)に名が記されている人物です。 中世になると、仏教の経典はこれまでの書き写し中心から木 […] 共有:Tweet