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6近世

盗賊二人打ち殺しのこと

盗賊二人打ち殺しのこと  幕末です。明治維新寸前の慶応4年(1868)閏4月16日のことです。現在の多摩都市モノレール桜街道駅から青梅橋にかけての桜街道(旧青梅街道)での出来事です。  当日は晴れ、午前10時頃です。芋久 …

相次ぐ蔵敷村・小川村寄場組合の成立

相次ぐ蔵敷村・小川村寄場組合の成立(明治2年・1869~3年・1870) 1県が所管する村の管轄替え  明治2年から4年にかけて、またまた、村人達は所属県の騒動に巻き込まれます。県が所管する村の管轄替えです。  東大和市 …

大がかりな所沢寄場組合(八州廻り・文政の取締改革)

大がかりな所沢寄場組合(八州廻り・文政の取締改革)  当初は、村人達の反発もあった八州廻りは、費用や協力体制の上から、次第に定着します。そして、狭山丘陵の南麓には、文化4年(1807)、早々と浪人取締組合村が設置されてい …

八州廻りと浪人取締組合の設置(文化4年・1807)

八州廻りと浪人取締組合の設置(文化4年・1807) 荒れる村  天明の飢饉以降、1700年代の後半になると村は様変わりしたようです。  借金で困ってどうしても耕地を手放さなくてはならなくなる農民が出てきます。すると、いつ …

幕末の村の領主様(安政2年・1855)

幕末の村の領主様(安政2年・1855)  東大和市域の幕末の村の姿です。一般的な様子は『新編武蔵風土記稿』などに描かれますが、今回は視点を変えて、村の領主・支配関係から紹介します。 安政2年(1855)3月、東大和市域に …

かたき討の話(東大和のよもやま話)

天保年間、天候が安定せず、飢饉、物価高が続きました。80%の村人達が飢えて、お互いに融通し合って過ごす中で、行き倒れや捨て子の記録とともに、長脇差や刀を帯びた「無宿」や「渡世人」が渡り歩いたことが伝えられます。 その時、 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 4 荒れる村

1踏んだり蹴ったりお犬様 狭山丘陵周辺の生類憐れみの令 延宝8年(1680)8月、五代将軍に綱吉が就任します。武蔵野開発に力を入れた三代将軍家光の四男です。放漫になりかけていた幕制改革に着手しました。一方で、生類憐れみの …

大まかな歴史の流れ 5 近世 3生産性の低い新田 農間稼ぎ

  1 空堀川までが日常生活圏 早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。 しかし、東大和 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 2 玉川上水・野火止用水の開削、細長い村

1玉川上水・野火止用水の開削 江戸市中の整備・家臣団の集住  江戸市中の整備が進むにつれ家臣団が江戸に集住するようになりました。 ・元和2年(1616)、駿府詰めの家臣団が江戸に移住、神田台を開拓、駿河台と称しました。 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 1江戸時代初期

1徳川家康の家臣がやって来た 八王子城の落城 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻撃により、戦国大名の後北条氏は滅びます。東大和市の周辺では、6月23日、八王子城が前田利家、上杉景勝の攻撃により落城しました。家臣 …

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