笠松坂の道しるべ(東大和市)
笠松坂の道しるべ(東大和市)
笠松坂、東大和市の西北端です。
地元では笠松峠と呼ぶ人もあります。
この一段と高くなったところに、村山貯水池と狭山丘陵の南麓を見渡すように「道しるべ」があります。
左端の石仏です。
東大和市にとっては西北端で、その上、現在は、主要な箇所が湖底に沈み、
通ることが出来ないので、往来は閉ざされています。
ところが、下図の通り、この地は、かって、狭山丘陵の中央、東西南北の結節点でした。
山口貯水池に沈んだ勝楽寺方面から、また
南側の砂川、立川、八王子方面からの旅人には
「そうれ、峠だぞ!」
ホッと一息、先ず一休みの場でした。
道しるべ
この地に、明治十五年(1882)、地蔵尊碑がまつられました。
その左面に、頻繁な往来があった地名が刻まれます。
地元の方のご厚意です。
右 山口 所沢
南 砂川 八王子 道
北 三ヶ嶋 扇町谷
多くの人々が方向を確認し、安全をねがい地蔵尊に手を合わせたことでしょう。
・この道は江戸末期、蚕や繭、織物の行き来した経済の道でした。
・周辺に幕府の御用林があり、その維持管理に係わる道でした。
日常的な交通の量も多かったと推定出来ます。
・また、人と獣が共に生活していた姿が伝わります。
・石川の集落に本拠を置く木こりの「藤兵衛(とうべえ)」さんが、
・仕事のため、この道を上がってくると、
・狼が骨を喉につまらせて苦しんでいます。
・藤兵衛さんは「かむんじゃねえぞ」と云いながら、抜きます。
・それから、狼は朝、夕、藤兵衛さんを迎え、見送りします。
よもやま話「藤兵衛さんと狼」に採録されています。
ここへ行くには
狭山丘陵の南側の麓を通る青梅街道から登ります。
・芋窪の西谷ッ(東大和市)からは二つの路があります。
・中藤(武蔵村山市)からは大橋の地蔵尊の向かいから入ります。
周囲道路からの場合は裏側を通過するので要注意です。標識が欲しいです。
旧道が辿れます
周囲道路の向こう側、やや左よりの正面に、保護のため鉄柵が設けられています。
フエンス越しに道しるべの示す古い道は残されています。
左側に下る三ヶ島、扇町屋方面への旧道です。
2間(3㍍60㌢)の道幅でしょうか、荷車が相互に交通出来る幅です。
青梅街道から登ってきた部分も同じ幅であったと推定しています。
このやや曲がりくねった道を降りる途中で、石川の集落が一望されました。
「そりゃーおめえ、よかったよな。ホンコのヤマケーダ(山峡田・やまかいだ)よ」
「生活あ骨が折れたけんど、明日もやんべえって、気かおきた」
見事な姿は後々まで伝えられます。
集落は貯水池建設により、大正時代に入ってほぼ全域が狭山丘陵南麓に移転しました。
秋の周囲道路側からの道しるべ。
建立されてから、ずっとここにまつられています。
多くのことを見守り、多くの人々を励ましたことでしょう。
(2023.07.14.記 文責・安島喜一)