俵かつぎ
「踏ん張って歩く姿かな?」
「どこまでも前進、前進でしょ!」
「だってェ・・・」
いろいろの声が湧き、思わず首を傾げます。
種を明かせば、「俵かつぎ」のモニュメントなんです。
東大和市上仲原公園にあります。
前回、居残り様として、11月20日の「えびす講」を紹介しました。
丁度、麦まきが終わり、畑仕事も一段落する時期でした。
「えびす講」 は農家にとっては「ハレ」の日でした。その時とばかり、村を挙げての運動会を行いました。『東大和のよもやまばなし』は次のように語ります。
村中の青年達が第一小学校の校庭に集まりました。
最初は、大正八年でした。当時六つの村がそれぞれ独立をしながら「高木村外五か村組合」を構成していました。財政危機もあり、小学校の建設を機に合併して大和村となりました。そこで、青年団の合同の運動会が開かれたのです。
青年達は夜になると校庭や、神社の境内で、ハダカ電球をつけて練習に励みました。
陸上競技の全種目が行われました。
百㍍、二百㍍、八百㍍などの競技には予想屋まで出て人気はスターのようでした。得点は一等三点、二等二点、三等一点と加算して、分団の優勝が決まります。エキサイトしてくるに従い、村の住人でなければいけない、学生は出場できないなど出場選手のチェックもきびしくなり、役場の戸籍係は調べるのに忙しかったようです。
中でも花形は六十キロの土俵をかついで百㍍を走る俵かつぎ競争でした。村一番の力持ちを決めるので、熱が入りました。
入賞すると賞状と賞品がもらえて、醤油樽(一斗入り)をもらった人もありました。
校門の両側に、アメ屋、オメン屋、団子屋等の店が出て、一日中お祭り騒ぎでした。
とっぷりと暮れた街道を楽隊を先頭にし、威勢よく帰っていくと、村々で飛び出して迎えました。
戦後も暫く続きました。(『東大和のよもやまばなし』p130~132)
(2016.11.29.記 文責・安島喜一)