貯水槽になった弁天池
貯水槽になった弁天池
狭山丘陵の懐に住む村人にとって、裾野の湧き口からこんこんと湧き続ける清水は宝物でした。
ほとんどの旧家がその水を日常的に利用できる位置に建てられています。
奈良橋交差点から青梅街道を西に向かい、バス停「蔵敷」、蔵敷高札場のあるところから50メートルほど西です。道に沿って防火貯水槽があります。
この貯水槽も、もとは湧き水を水源とする池でした。弁天様(厳島神社)がまつられていたので弁天池と呼ばれました。今回はこの池に住んでいた主のお話です。
『東大和のよもやまばなし』から紹介します。
「蔵敷の厳島神杜は、弁財天を祀ってあるところから「弁天様」と土地の人達は呼んでいます。弁天様から南に坂を下り青梅街道にぶつかる右角に、コンクリートの防火用貯水槽があります。
この貯水槽は、かつて弁天池と呼ばれた十数坪の泥池でした。湧き水はかれることなく、南の陽ざしをうけた明るい池でした。鯉や亀もたくさんいました。
昔、この弁天池のあたりで、山から出てきた大蛇に子供がのまれ、その子の着物のつけひぼ(つけひも)がなんと大蛇の口からたれ下っていたのです。
大蛇はその場で捕えられ、神主さんのかりぎぬでくるみ、唐櫃(かろうど 棺)に入れ、大きな石のおさえ蓋をして神社の下にしっかりと埋めこんでしまったというお話でした。
大正八年頃、青梅街道の道巾を広げた時に池の大きさはいくらか小さくなってしまいました。大正十四、五年には、池をコンクリートで四角に囲い、蓋をつけてしまいました。
湧き水を利用した底なしの防火用貯水槽に変身してしまったのです。
昔の弁天池の面影をしのべるものは何一つ残っていませんが、ただ一つどんな日照りの時でもかれることのない湧き水だけは、今も昔も変ることなく続いています。」(『東大和のよもやまばなし』p198)91
この地はさらに奥に進むと「東京サンショウウオ」の生育地があり、よもやま話「ばばあのふところ」の伝わる地域に出ます。その奥は村山貯水池に接しています。
小さなお子さんに
「そんな大きい蛇、今も居るの・・・?」
と真剣に聞かれます。
「もう居ないよ、ずっと前の話だよ。この辺には狐や狸、雉(きじ)なんか、たくさんの動物が一緒に居たんだよ」
と説明しながら、近くの「ばばあのふところ」の話を大急ぎで付け加えます。現代のお子さんに、どのようにお話ししたらいいのか考えさせられます。
(2018.10.14.記)
蔵敷地域の神社 厳島神社