天王様(東大和市)
天王様(東大和市)
東大和市芋窪に新しくできた都市計画道路・東大和武蔵村山線の北側に天王様がまつられました。
これまでは旧道路の南側に住吉・八雲神社としてまつられていましたが、道路完成により令和2年、北側に社殿が新設されて神社名も天王様となりました。
所在地 東大和市芋窪四丁目
祭神(豊鹿島神社パンフレットによる)
八雲神社 素盞雄命(すさのうのみこと)
住吉神社 底筒男命(そこつつおのみこと)・中津和多津見命(なかつわたつみのみこと)・上津和多津見命(うわつわたつみのみこと)
地元では天王様として親しまれ、この度(令和元年・2019)の社殿新築に伴い社名が天王様となりました。
由緒 創建年代は不明です。
・石川の里に住吉神社、八雲神社としてまつられました。(豊鹿島神社の摂社)
・悪疫(あくえき・たちの悪い流行病)や病魔(びょうま・病気)を防ぎ、かかった人々に救いの手を伸ばし
・農作物の豊かな実りをもたらせ
・日々の生活を安定させる
村人にとって多くの御利益を恵む神様としてあつい信仰を集めてきました。
・大正年間、村山貯水池建設にともない村人と共に芋窪四丁目に移転しました。
・平成になって、都市計画道路・東大和武蔵村山線の建設により、現在地に移転・新築しました。
・旧住吉神社境内にまつられていた御嶽神社は本社・御嶽神社に納めました。
社殿の中に住吉神社(左)、八雲神社(右)の二つの社がまつられています。それぞれにお賽銭口があります。
左側の三つの碑は村山貯水池の建設に伴い、石川の里から移転してきました。詳細は天王様の石碑に書きました。
天王様は村々にまつられた
「天王様ってどういう神様?」
「道の向こうにあったときは、確か住吉様って云ってたけど・・・」
「どんな関係があるの?」
写真を撮っている時です。中学校の生徒さんたちが通りかかり、問いかけられました。冷や汗をかきながら、住吉様、新型コロナ感染と牛頭天王の話をしました。勉強不足が恥ずかしく、帰宅して改めて調べ直しました。
狭山丘陵周辺の村人にとって、天王様はとりわけ大切な神様でした。中世からまつられたことが推定されます。東大和市内と隣接する村々を調べてみました。江戸時代にはすべての村にまつられていました。長い間に神社の名前は変わり、名前が天王様とは異なる場合もありますが、祭神が素盞雄命(すさのうのみこと)・牛頭天王様(ごずてんのう)の神社をあげます。
祭神が不明の場合も山王社、天王山、八坂神社の神社名から一覧にしました。丘陵のそれぞれの位置にまつられて、いかに村人たちから信仰されたかが偲ばれます。東大和市芋窪石川の天王様と武蔵村山市岸の須賀神社奥の院は、丘陵の峰に谷ッの集落を見守るようにまつられていることに驚きました。ページを改めて書きます。
天王様と住吉神社
中学校の生徒さんたちから問われた問題の一つに住吉様と天王様の関係がありました。確かに、都市計画道路の新設による移転で天王様の社殿が新設されるまで、すぐ目の前にまつられていた神社は住吉様でした。でも、地元の人々は天王様と云う方々が多かったです。
そこで、生徒さんたちには
「住吉様の神社の中に二つの神様がまつられていたんだよ。住吉神社と八雲神社で、それは今でも変わらないよ。住吉様の話は長くなるから、八雲神社の方を話すね。八雲神社の神様は素盞雄命(すさのうのみこと)なんだよ。伝染病や悪い病気を防いだり直す御利益があるんだ。だから、身近に信仰されたんだと思う。そして、この神様の別の名を牛頭天王(ごずてんのう)と云うんだよ。」
「あ、それで、天王様って鳥居のところにあるんだ」」
「でも、おんなじ神様なのに、なんで、そんな違った名前なの?」
この問いには困りました。次のページに続けます。旧住吉神社については「住吉神社と御嶽神社」に記しました。
(2020.04.03.記 文責・安島喜一)