1地質(東大和市の歴史・略年譜)
1地質(東大和市の歴史・略年譜)
東大和の歴史をおおまかな年表にしました。
・東大和市は狭山丘陵と武蔵野台地で出来ている。
・現在の姿になる前は、浅い海、渚であった。
村山貯水池建設の際、下の堤防の辺りを工事しているときマガキの化石が発見(1930年)された。
160万年前 アキシマクジラの化石が昭島市大神町の多摩川河川敷で発見された。(1961年8月)
・古多摩川が芋窪礫層を積み
・海が浅くなって陸化が進み
・小御岳火山の噴火灰を積もらせ
・古多摩川が狭山丘陵を削り残して
・台地をつくった。
・40万年~30万年前
蔵敷の熊野神社本殿付近で見られる芋窪礫層
古多摩川が運んで来て、狭山丘陵のもとになっている
古多摩川が運んで来て、狭山丘陵のもとになっている
芋窪鹿島台に露出してよく見える 多摩ローム
芋窪礫層と多摩ローム層は、今からおよそ40~30万年前の更新世の堆積物と考えられている。(『東大和市史資料編』5p30)
・東大和市の地層
狭山丘陵については次の模式図が考えられている。
狭山丘陵、多摩丘陵、加住丘陵、草花丘陵、加持丘陵には狭山丘陵とほぼ同じ多摩ロームが積み重なっている。
武蔵野台地については調査中
・東大和市の地形
狭山丘陵の南麓の台地は南東に向かって次第に低くなる。
東大和市の高度は狭山丘陵の狭山富士151㍍(人造)を最高に徐々に南東に低くなる。
東大和市役所98~102㍍ 玉川上水駅北口99㍍ 東大和市駅北口92㍍。
大きくは東京湾方向に傾きながら、現多摩川の方向へと低くなっている。
これらの条件に合わせて、人々が長い歴史のもとに、生活の基盤を切り開いて来たことを辿ります。
(2021.05.10.文責・安島喜一)