円乗院の歴史

 円乘院の歴史は変化に富んでいます。最初に、寺伝の「円乗院略縁起」から紹介します。
 
・開山は賢誉法印でした。平治元年(1159)2月8日寂。その墓誌が円乗院代々住職の墓所にあります。
 

・古くは延寿院と呼び、後ヶ谷村(現在の東大和市狭山)の「上の屋敷」にあって、薬師如来を御本尊とし、医王寺と称しました。
・慶長12年(1607)8月18日、風災によって坊舎が悉く吹き潰されたので、狭山南峰の愛宕山(現在の場所)に移して堂宇を再建しました。
・その場所に古くより鎮座する愛宕大権現を寺の地主神として、山号を愛宕山院号を円乗院としました。

・第二十世慶範法印(元禄17・1704年3月1日示寂)の代に、紀州(和歌山県)の根来山大伝法院に安置の錐鑚不動尊像を写して本尊としました。

・第二十五世の乗誉法印(寂年未詳)代、寛延2年(1749)10月に本堂の前方に鐘楼門を建立。
・寛政5年(1793)2月、本堂並庫裡再建。
・第三十三世法印宥祥(天保2年(1831)2月3日示寂)の代に、本堂庫裡を再建。
・明治18年(1885)12月、火災により本堂・庫裡・古記録を焼失。
・昭和23年(1948)12月12日、本堂再建、庫裡・鐘楼門を改修
・昭和48年(1973)庫裡、昭和54年(1979)本堂を再建、現在に至る。
 
 地誌類の記録

1新編武藏風土記稿

 

寺院

 圓乗院除地七畝二十六歩、是も字南分と云ふ所にあり、新義真言宗、豊嶋郡石神井村三寶寺末成り、愛宕山東圓坊と號す、
 開山は賢誉法印と云、平治元年二月八日寂せり、
 本堂七間に六間半南向、本尊木の坐像二尺五寸許、又薬師の像八寸許なるを安置す、恵心の作成るよしをいへど、秘してみることをゆるさずと云、
鐘楼、
 本堂の正面に建つ、二間に三間、鐘は圓径二尺二寸、このかね寛延二年十月住持乗誉の代に鋳成したれば、銘文に載せず、
愛宕祠
 境内の鎮守にて、本堂の後にあり、小祠、下田七畝二十六歩の除地となせり
 
2武藏名勝図会

円乗院

 山口領後ヶ谷村にあり。古刹なれども、由来不知。愛宕山東円坊医王寺と号す。新義真言、石神井村三宝院末なり。本尊薬師如来中古不動尊を以て本尊とす。この薬師は厨子入、堂内に安置す。木立像、八寸許、恵心僧都作。開山賢誉法師平治元卯年(一一五九)二月八日寂。

古碑
「正和二年(一三一三)九月十六日」碧緑石板碑、後ヶ谷村小名林というところにあり。いまは熊野権現に崇む。「応安三年(一三七〇)三月日」後ヶ谷村の隣邑宅部村にあり。石は前と同じ。

3狭山之栞
 
 愛宕山圓乗院医王寺東圓坊は豊島郡上神石井村新義真言宗中本寺亀頂山三寶寺の末派にて開基草創不詳。開山法印賢誉を以つて開租とす。平治元年己卯年二月八日入寂す。

 本尊薬師如來の本体五寸余、厨子高二尺余。座像にて寶月智嚴音自在如來にて恵心僧都の作。外に日光佛月光佛十二將神を安置す。

 寺を医王と呼び坊を東圓と號するは皆藥師に因緑あるに依るにや。古時延壽院と云へる寺字上の屋敷に在りしが慶長十二丁未年八月十八日風禍により坊舎悉く吹き潰されしを愛宕山へ移し山を愛宕と呼ぶに至る。

 開山賢誉より現住木村淳賢迄四十世僧を経たり。廿世慶範法印の時その帰依に因つて南紀根來山錐鎖不動を模し本尊とす。空殿高五尺余尊躯長二尺五寸両童子各一尺五寸也。

 同法印の代 寺地壱反五畝歩の除地を賜りしが 現今寺敷地弐反八畝廿三歩官有地たり。
 廿四世宥賢の代享保十一丙午年五月廿四日法流開基香衣一色着用の寺格となる。
 三二世法印宥祥の代即ち寛政五癸丑年二月本堂並庫裡再建す。
 入佛供養は文化六巳年十月十五日より十七日迄法如上人を講じ士砂加持大施餓鬼を修行す。(此法如上人は後澁谷室泉寺にて寂し同寺に墓あり)
 當寺は新四國四拾武番の霊場、伊豫國佛木寺のうつし也。

 現在狭山薬師第三十四番たり。

  詠歌 ありがたや医王の寺ときくからはよろつの病いゆるなるらむ  林志

 庭中に萬両の大木あり。高さ本堂の屋根に及びしが枯れたり。実生あり、高七尺尚存す。

 寺寶に兆殿司の薬師像あれど破れたるは惜し。
 梵鐘無名、寛延二年の建立、高さ龍頭迄四尺二寸口径二尺三寸。
 
4信仰のすがたと造形

②円乗院

 
 狭山三丁目 一三五四番地
 新義真言宗、智山派。本尊・不動明王。
 
 過去の火災によって古記録類が焼失してしまったため、当寺の創建、由来など明確にしがたいが、平安時代末期の平治元年(一一五九)二月八日狭山円乗院開山法印賢誉入寂の記録がある。また当寺には中世・鎌倉時代から室町時代の板碑が伝わっており、古い歴史をもつ寺であることをおもわせる。本尊は錐鎖不動(きりもみ)と呼ばれ、和歌山県・根来寺の不動明王像を模したものと伝えられ秘仏として祀られている。 
 

 道路に面した石階を数段のぼり十数㍍入り、さらに石段を十五、六段上ったところに鐘楼を兼ねた山門、いわゆる鐘楼門がある。この門は寛延二年(一七四九)に建てられたもので、市内では古い建築のひとつである。門には昭和五十八年、弘法大師千百五十年御遠忌にあたりあらたに造立された仁王像が山内を守り、上階には梵鐘が吊懸けられている。山門を入ると二基の増上寺の石灯籠が奉安されている。丘陵のゆるやかな斜面を利用した境内は広く、自然を背景とした庭は手入れもよくゆき届きその景観は落ち着いた雰囲気がある。本堂は奥まったところにある。(p50 以下省略)(2017.06.09.記)
 

 広大な寺域には様々な文化財があります。下の画像の文字をクリックすると記事になります。

     

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