東大和市の庚申塔一覧

東大和市の庚申塔一覧

 塚やお寺の一隅に、腕を何本も持った怖い顔をした像が浮彫になった石塔を見ることがあります。かっては塚が築かれたり、主要な道路の大事なところに、まつられていました。

奈良橋雲性寺庚申塔 クリックで大

 庚申様を信仰する村人達の願いが叶ったり、村の安全を祈ったりするときに建立しました。「庚申塔」(こうしんとう)です。

東大和市の庚申塔

 現在、東大和市内には次の庚申塔がまつられています。現在も調査中で増減があります。

  年 号     所在地    形式        種別        銘

清水

 享保13年(1728)  庚申神社  蓋付方型石碑   六臂青面金剛     村名などあり
 不詳         庚申神社  蓋付方型石碑   摩滅
 不詳         清水観音堂1  石碑     六臂青面金剛     不詳
 不詳         清水観音堂2  石碑     不詳         不詳

狭山
 元禄11年(1698)    霊性庵   蓋付方型石碑   六臂青面金剛      あり
 明治29年(1896)    霊性庵   方型石碑     文字          あり

高木
 享保4年(1719)    高木神社前  蓋付方型石碑    六臂青面金剛      あり

奈良橋
 正徳6年(1716)    雲性寺    上部弧状型小型石碑 ア字庚申 梵字塔   あり
 享保16年(1731)    雲性寺   蓋付方型石碑      六臂青面金剛      あり
 

蔵敷
 明和元年(1764)     蔵敷庚申塚  蓋付方型石碑   六臂青面金剛     あり

芋窪
 延宝8年(1680)       高杉家    板碑型      六臂青面金剛     あり
 享保7年(1722)       慶性院    蓋付方型石碑   六臂青面金剛     あり
 寛政2年(1792)       慶性院    蓋付方型石碑   六臂青面金剛     あり
 不詳            不詳     方形石碑     文字         なし

庚申塔の旧所在地

東大和市域の庚申塔旧所在地 クリックで大

 多くが江戸時代に造立されたため、新青梅街道以北に限られます。村山貯水池の建設により、湖底に沈んだ地域からは丘陵南麓のお寺や観音堂に移されました。オカネ塚の庚申塔については所在が不明です。

東大和市の石仏

 東大和の石仏には特徴的な流れがあります。
①最初は庚申塔が造立されました。
 現在残されている市内最古の石仏は寛政2年(1680)に造立された庚申供養塔です。
 村山貯水池の湖底に沈んだ石川に造立されました。
 概ね1700年代末を以て像は造られなくなります。12基を確認。
②次に元禄6年(1693)に、地蔵尊像がまつられました。湖底に沈んだ上宅部です。
 以後、各時代を通して、現在まで信仰の対象となって親しまれています。
 58体を確認(墳墓標識は約400体)。
③庚申供養塔の造立が見られなくなった頃から、急速に馬頭観音像が造立されます。
 最初の馬頭観音像は湖底に沈んだ内堀に、寛政3(1791)にまつられました。
 概ね1800年代中頃以降造立が見られなくなります。19基を確認。
④その頃から、各寺院や墓地に六地蔵尊像が建立されます。
 天保7年(1836)に、奈良橋雲性寺にまつられました。
 現在まで続きます。

庚申塔の特徴

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                      芋窪高杉家庚申塔 東大和市最古(延宝8年・1680)クリックで大

芋窪慶性院庚申塔 クリックで大

芋窪慶性院庚申塔正面一部 クリックで大

 三つの庚申塔を紹介しましたが、共通する特徴があります。
 ・正面に6本の腕を持った怖い顔をした像
 ・足許に踏まれた「邪鬼」
 ・その下に見ざる、聞かざる、云わざる、をあらわした「三匹の猿」
 ・これらの脇に「文字」(銘)
 が浮彫になったり、彫られたりしています。
 村人達が信仰した「庚申信仰」の表れです。このことについては別に書きます。

 それぞれの地に、特色ある庚申塔がまつられています。個別の庚申様については別に書きます。

 (2019.08.07.記) 文責・安島喜一

 石造物

 庚申塔をまつった背景