芋窪観音堂前 馬頭観音(林堂前)

 芋窪の観音堂(林堂 狭山三十三観音十九番札所)の前に、自然石の馬頭観音様がまつられています。

観音堂の前の道際にまつられる馬頭観音
建物は現在と違います。クリックで大

 旧道の道筋ですが、注意しないと見過ごします。ご近所の方は
 「全く最近のものは、信心がないんだから。昔は通りすがりの皆んなが手を合わせたのに!」
と嘆かれます。この道、巡礼道で、東は奈良橋雲性寺観音道、西は、中藤(武蔵村山市)の真福寺観音堂へと向かいます。

観音堂の左の祠には六地蔵尊がまつられ、前面の道筋を護るかのように自然石の馬頭様です。
クリックで大

 建立の時代は比較的新しく、明治7年(1974)です。道幅は広くはありませんが、昭和33年(1958)大和町全図でみると、青梅街道から四ッ街道、江戸街道へと通ずる幹線道路の支線であり、その一隅にまつられたことがわかります。

多くの村人がお参りするたびに手を触れたような丸みの感触が湧きます。クリックで大

 高さ88.5㌢、左右最大幅27.0㌢、前後最大幅25.0㌢

正面

 自然石
 草書体で「馬頭観世音」と彫られています。

台石
 正面 中組下
 左側面 「明治七(1974)甲戌歳四月吉辰日 建之」、
 右側面 「世話人 野口六郎右ヱ門 川鍋八右ヱ門 同 八 星野増五郎
  峰岸四郎左ヱ門 関口平次郎 木邑富右ヱ門 小榑九兵衛 同 金右ヱ門」
 と彫られています。

 明治7年(1874)頃は、この地域では、教育、徴兵、地租と相次いで維新の改革が実施に移され、馬に頼ったかっての農間稼ぎで江戸市中への駄賃稼ぎは低調になってきていました。その中で、多くの村人達が世話人として名を連ねている背景に何があったのか知りたいです。

まつられた当初の姿を残す馬頭様

 東大和市内には下図の通り、林堂(自然石)、四ッ街道(青面金剛・三面六臂像)、蔵敷庚申塚(方形石塔)と3箇所で、まつられた元の姿のままで、それぞれ形の違う馬頭観音様を拝することができます。

多くの馬頭様が移動した中で、元の姿を残します。 クリックで大

 古道を探る楽しみを味わいつつ、特色ある馬頭様の姿を拝することのできる道筋です。

  (2019.08.15.記 文責・安島)

  東大和市の馬頭観音

 馬頭観音をまつった背景

 四ッ街道の馬頭観音(文化元年・1804)

 石造物