六十六部廻国供養塔について2

六十六部廻国供養塔について2

廻国した六十六の国
狭山霊性庵の六十六部供養塔には次のように彫られています。

狭山霊性庵にまつられる六十六部供養塔です。
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 天下泰平 天明五乙巳天 武刕多摩郡後谷村(ぶしゅうたまぐんうしろがやむら)
 奉納大乘妙典六十六部日本廻国供養塔
 国土安穏 十一月吉日 願主 
            間野門十郎
 の文字が刻まれています。
 日本国六十六国の廻国成就を記念しての供養塔です。
 さて、廻国したという六十六の国は、どことどこなのでしょうか?

 日本国が六十六国に分かれていたのは、古代~江戸時代です。
 現在の日本は都道府県制をとり、
 1都・1道・2府(大阪府・京都府)・43県に分かれています。
 ところが、供養塔が建てられた頃の日本は
 66国に分かれていました。それを辿ると

 大宝元年(701)、大宝律令が定められ、
 国境画定事業が行われました。
 5畿内と7道(東海、 東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海)の66国です。
 壱岐、対馬の2島を入れ、68国とする場合もあります。
 それぞれの地に国府が置かれました。

武蔵国府跡です。東京都府中市
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 江戸時代の行者は東大和を出発し、武蔵国分寺(現国分寺市)を経て、
  もう姿を留めなかった武蔵国府(現府中市)を訪れ、次の国へと旅を続けたのではないでしょうか。

 武蔵国が含まれる東海道から書きます。

○東海道 15国
常陸、上総、下総、安房、武蔵、相模、甲斐、伊豆、駿河、遠江、尾張、三河、伊勢、志摩、伊賀
○東山道 8国
陸奥、出羽、上野、下野、信 濃、飛騨、美濃、近江 
○北陸道  7国
越後、佐渡、越中、加賀、 能登、越前、若狭 
○畿 内  5国
山城、大和、河内、和泉、 摂津 
○山陰道 8国
丹波、丹後、但馬、因幡、 伯耆、出雲、石見、隠岐  
○山陽道 8国
播磨、美作、備前、備中、備 後、安芸、周防、長門 
○南海道 6国
紀伊、淡路、阿波、讃岐、土佐、伊予 
○西海道 11国
筑前、筑後、豊前、豊後、肥 前、肥後、日向、大隈、 薩摩、壱岐、対馬

◎北海道は明治2年(1869)に加わりました。
◎5畿7道制は明治維新による廃藩置県(明治4年・1871)以降、使われなくなりました。

 これらの国を、当時の東大和市域からどのような順序で廻ったのか?
 廻国順に並べたくて、苦労しています。ご指導ください。
 調べきれなく、未整理のままで済みません。 

 次に続けます。

 (2021.12.10.記 文責・安島)

 六十六部廻国供養塔について1

 六十六部廻国供養塔について3

 石造物