六十六部廻国供養塔について(東大和市)
六十六部廻国供養塔について1(東大和市)
六十六部廻国供養塔(ろくじゅうろくぶかいこくくようとう)
東大和市に伝わる六十六部供養塔のご案内です。
市内の墓地や寺院の境内に
日本廻国供養塔、大乗妙典供養塔(だいじょうみょうてんくようとう)とか
六十六部供養塔と彫られた いろいろな形をした石塔があります。
かっては道路脇や墓地にまつられていました。
六十六部廻国供養塔とは
・あまり聞き慣れない言葉ですが
・中世から江戸時代にかけて造立されました。
・僧侶、修験(しゅげん)、行者などが
・大乗妙典(妙法華経)を書き写し
・仏像と一緒に厨子に納めて、背負い
・国家安全、滅罪作善(めつざいさぜん)、追善回向(ついぜんえこう)などを願って
・全国(六十六国)を回り
・一国一箇所(国分寺などの由緒ある霊場)に奉納することを
・無事に終わらせて、
・記念に建てられた石塔です。
3つの例をあげましたが、市内にはいろいろの形があります。
東大和市内の供養塔
東大和市内では現在、次の11基を目にすることが出来ます。
・清水中堂墓地
・享保元年(1716)
武運長久 成就安楽
大乘妙典六十六部
・清水観音堂
・享保9年(1724)
大乘妙典日本回国六十六部供養塔
・享保11年(1726)
大乘妙典日本回国六十六部供養塔
・狭山霊性庵
・享保12年(1727)
大乘妙典日本回国六十六部供養塔
・天明5年(1785)
大乘妙典日本回国六十六部供養塔
・高木妙楽寺墓地
・宝暦4年(1754)
大乘妙典六十六部所願成就
・年代不詳
六十六部
・奈良橋雲性寺
・安永6年(1777)
大乗妙典六十六部廻国供養塔
・芋窪林堂 (現・慶性院境内)
・妙和2年(1765)
六十六部供養塔
特殊な形をした塔として
◎奈良橋雲性寺には宝篋印塔(享保10年・1725)の中に
奉納妙典六十六部供養と彫られています。
◎蔵敷塚前墓地には大乘妙典供養塔(天保9年・1838)と彫られた塔があります。
『東大和のよもやまばなし』に敵討ちに関わることが伝えられます。
廻国した六十六の国、どのように廻国したのか
等については、長くなるので、次に続けます。
(2021.12.08.記 文責・安島喜一)
六十六部回国供養塔について2
六十六部回国供養塔について3