馬頭観音 高木神社前 天保5年(1834)
馬頭観音 高木神社前 天保5年(1834)10月8日
天保5年(1834)、コレラ、飢饉、農民一揆が続いた年です。
そのような中で、旧江戸街道沿い北側にまつられました。
正面
表面は摩損しています。
かすかに、馬頭観世音の文字(楷書)が辿れます。
高さ60.5㌢、幅23㌢、奥行き15㌢
左側面
武州多摩郡
宮鍋庄兵衛
宮鍋家は高木村の私領(徳川家の旗本酒井氏の領地)を治める名主です。
高木村は天領(幕府領)と私領に分かれていました。
右側面
・天保5年(1834)10月8日に建立されました。
・天保の大飢饉(天保4年・1833)が激しくなった翌年です。
・米の値段が高騰し、全国で打ち毀しが行われ、
・幕府は窮民に施米を実施します。
・幕府は行き倒れの救済を村の長に命じます。
・雨が降らず、6月には各地で請雨(雨ごい)が行われました。
・食料が底をつき高木村を含め周辺の村々は備蓄米の拝借願いを出しました。
このような状況の中で馬頭様はまつられました。
余程の願いがあってのことと推測されます。
裏面
とくに彫りはないようです。
旧地
天保の馬頭様は江戸街道沿いにまつられたとされます。
詳細を調査中です。
・東大和市域内で馬頭様は
・寛政3年(1791・最古)村山貯水池に沈んだ地域、
・1800年代は丘陵の南麓、日常の居住地域内幹線道路、
・江戸街道沿いには、奈良橋庚申塚に寛政9年(1797)、
高木に文政11年(1828)、天保5年(1834)にまつられます。
・新田開発した畑の中、現在の桜街道には建立されていません。
・東大和市域内では、馬は耕作に関わらなかったようです。
江戸市中への駄賃稼ぎ、物資の運搬が主力でした。
(2021.11.01.記 文責・安島喜一)