東大和市の馬頭観音

 神社やお寺の一隅に、「馬頭観音」と彫られた石塔や腕を何本も持った怖い顔をした像が浮彫になった石塔がまつられています。かっては主要道路の大事なところに、馬の供養、道中の安全祈願のためにまつられていました。馬頭観音様です。

馬頭観世音菩薩の文字、寛政3年(1791)の年号が刻まれた板碑型石碑
奈良橋庚申墓地にあり、東大和市最古 
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三の顔と六本の腕(臂)が浮彫になっている
寛政9年(1797)  雲性寺門前 隅丸方型石碑
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 東大和市内には、現在、23基の馬頭観音供養塔が保存されているとされますが、確認できるのは下の表の19基です。多くが、最初にまつられていたところは不明です。中でも解っているものを追うと、下図の通りです。

 いずれも主要街道に沿い、村人の生活と密接に関わっていたことが辿れます。それは、東大和市域の村の特徴で、馬の供養とともに交通安全、道中無事を祈願する信仰でした。年貢を現物では納められず、金納であったことから、馬は農業の耕作にはあまり利用されず、江戸市中への物資の輸送、「駄賃稼ぎ」に主要な役割を果たしました。「農間稼ぎ」とも呼ばれます。

馬頭観音旧位置図
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 まつられた馬頭観音像はいくつかの特徴を持っています。『東大和市史資料編』では次のように解説しています。

「馬頭観音の信仰は、文字どおり馬に対する信仰であるが、日本での信仰とその造像は六観音の一つとして平安時代から始まっている。

 馬頭観音像としての姿には一面二臂(ひ)、一面四臂、三面二臂、三面六三臂、四面四臂、四面八臂など所依の経典によりいろいろあるが、常にいずれも忿怒相(ふんぬそう)をもち、頭上に馬の顔を戴くのが特色である。平安密教での信仰は蓮華部(無量寿仏)の教令輪身(きょうりょうりんしん 忿怒身)と考えられ、中世以降とくに近世・江戸時代の庶民仏教では道中安全の祈願や家畜としての馬に対する供養が信仰の中心となっている。(中略)

 これらを通観して気がつくことは、個人が施主あるいは願主となって建塔したのが多いということである。また、古いものには「馬頭観世音」の文字と合わせて馬頭観音像そのものを付ける例が多く、そして馬頭観音像が種字に変化し、やがて「馬頭観世音」の文字だけを陰刻したものが多くなるという傾向が見られる。また、庚申塔にも見られるが、天下の泰平や国土の安全などを合わせ祈願しているものが七例ある。そしてこれらのうち六例が村中あるいは講中によって造塔されている。」(『東大和市史資料編』8 信仰の姿と形 p102~108)

市内に現存する馬頭観音碑の一覧は次の通りです。

   年号     所在地   形式

清水

不明       観音堂裏  角石碑              種子 文字
文政7年(1824)  観音堂裏   上部稜型石碑    種子 文字

狭山

寛政9年(1797)  個人蔵    板碑型石碑    六臂像浮彫
天保5年(1834)  霊性庵    方型石碑     文字
文化元年(1804)   霊性庵    上部稜型石碑   文字
文化10年(1813)  霊性庵    隅丸石碑     文字
文政5年(1822)  霊性庵    隅丸石碑       文字
明治4年(1871)  霊性庵    隅丸石碑     文字
明治□□      霊性庵    方型石碑     文字

  霊性庵の石造物3観音堂北側

高木

天保5年(1834)   高木神社前  方型石碑    文字
慶応4年(1868)   高木神社前  隅丸石碑    文字
文政11年(1828) 高木神社前  方型石碑    文字
昭和4年(1929)   高木神社前  方型石碑      文字

 高木神社前の石造物

奈良橋

寛政3年(1791)   庚申墓地     板碑型石碑    文字
寛政9年(1797)   雲性寺前     隅丸方型石碑  三面六臂浮彫

蔵敷

文政8年(1825)     庚申塚上    方型石碑     文字

芋窪

明治7年(1874)   観音堂前     自然石     文字
寛政11年(1799) 蓮華寺      方型石碑   三面六臂浮彫 
文化元年(1804)  四ッ街道     方型石碑   三面六臂浮彫
 

東大和市内で最新・昭和4年(1929)の馬頭観音です。
高木神社前の石仏群の一番左にまつられています。
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 素朴な石塔が多いです。個別については別に記します。

   (2019.07.09.記 文責・安島喜一)

 馬頭観音をまつった背景

 石造物

 高木神社前の石造物

 狭山霊性庵の石造物3観音堂北側